求塚

 

 photo/Yoko

あらすじ 

 早春の生田の小野で、若菜摘みの女たちに旅僧が求塚の所在を尋ねると、皆は知らぬといい一人を残して先に帰ります。その女こそ菟名日処女(ウナイオトメ)の亡霊で、求塚に案内をし、塚のいわれを物語ります。

 昔、二人の男に求婚され決めかねて、生田川の水鳥を射当てたものにと定めたところ、二人の矢は同じ鳥の同じ翼に当たり、女は川に身を投げ塚に葬られ、男たちは塚の前で刺し違え死んだということ。その身の科(トガ)により苦しむ自分を助け給えと忘霊は僧に言い、塚に消えます。

 旅僧の弔いに現れた亡霊は、八大地獄の苦患を次々に再現して懺悔し、再び塚に戻り失せてしまいます。

 

 主な登場人物

菟名日処女(ウナイオトメ)の亡霊  Tでは若菜摘み女の姿で  Uでは幽鬼の姿で現れる

    旅僧

 場所

    摂津国 生田の里    T 生田の小野 求塚の前   U 塚の前


T

  西国方面より出た旅僧が都に上る途中で、津の国生田の里に着きます

 

旅僧・従僧たち 鄙の長路の旅衣、鄙の長路の旅衣、

   都にいざや急がん。

 

旅僧 これは西国方より出でたる僧にて候。われいまだ都を見ず候ふほどに、ただ今都に上り候。

 

旅僧・従僧 旅衣、

八重の汐路の浦伝ひ、八重の汐路の浦伝ひ、

舟にても行く旅の道、海山かけてはるばると、

明かし暮して行くほどに、名にのみ聞きし津の国の、

生田の里に着きにけり、生田の里に着きにけり。

 

  生田の里女が数人、野辺に出て若菜を摘みます 生田の小野には雪が残り、春とはいえきびしい寒さ

 

菟名日処女の亡霊・里女たち 若菜摘む、生田の小野の朝風に、なほ冴えかへる袂(タモト)かな。

里女 木の芽も春の淡雪に、

処女・里女 森の下草なほ寒し。

   深山(ミヤマ)には松の雪だに消えなくに、

里女 都は野辺の若菜摘む、頃にも今はなりぬらん、思ひやるこそゆかしけれ(思えば早く行ってみたい)

処女 ここはまたもとより所も天さがる(アマ・都から遠く離れた)

里女 鄙人なればおのづから、憂きも命も(つらいこともある命をつなぎ)生田の海の、身の限りにて憂き業の、

   春としもなき小野に出て、

 

処女・里女 若菜摘む、幾里人の(踏んだ)跡ならん、

雪間あまたに(雪の消えた跡が多い)野はなりぬ。

 

   道なしとても踏み分けて、道なしとても踏み分けて、

   野沢の若菜今日摘まん。

   雪間(晴れ間)を待つならば、若菜ももしや老いもせん(伸び過ぎることもあろうから)

   嵐吹く森の木蔭、小野の雪もなほ冴えて、

   春としも(春らしくないが)七草の、

   生田の若菜摘もうよ、生田の若菜摘もうよ。

 

  旅僧が生田のことを尋ねると、里女たちは、見えているのになぜわからぬかと答えます

  求塚のことも知らないと答え、都への道を急げと言い、若菜を摘みはじめます

 

旅僧 いかにこれなる人に尋ね申すべき事の候。生田とはこのあたりを申し候ふか。

里女 生田としろしめしたる上は、御尋ねまでも候ふまじ、

処女 所々の有様にも、などかは御覧じ知らざらん。

   まづは生田の名にし負ふ、これに数ある林をば、生田の森とはしろしめさずや。

里女 また今渡給へるは、名に流れたる生田川、

処女 水の緑も春浅き、雪間の若菜摘む野辺に、

里女 少なき草の原ならば、小野とはなどやしろしめされぬぞ。

処女・里女 み吉野志賀の山桜、竜田初瀬の紅葉をば、歌人の家には知るなれば、所に住める者なればとて、

   生田の森とも林とも(歌人が知ることを住んでいても知るとは限らない)、知らぬ事をなのたまひそよ。

旅僧 げに目前の所々、森を始めて海川の、霞みわたれる小野の気色、げにも生田の名にし負へる。

   さて求塚とはいづくぞや。

処女 求塚とは名には聞けども、まことはいづくの程やらん、わらはもさらに知らぬなり。

里女 なうなう旅人よしなき事をなのたまひそ、わらはも若菜を摘む暇(イトマに相手をしていることで)

処女 御身も急ぎの旅なるに、何しにやすらひ給ふらん、

里女 されば古き歌にも、

 

処女 旅人の、道妨げに摘むものは、

生田の小野の若菜なり、よしなや(つまらないことよ)何を問ひ給ふ。

   

春日野の、

飛ぶ火の野守出でて見よ、飛ぶ火の野守出でてみよ、

若菜摘まんも程あらじ、そのごとく旅人も、

急がせ給ふ都を、今幾日(イクカ)ありて御覧ぜん。

君がため、

春の野に出でて若菜摘む、衣手寒し消え残る、

雪ながら(雪とともに)摘もうよ、淡雪ながら摘もうよ。

 

  女たちは掛け合いで歌をうたいながら若菜を摘みます 若菜摘みは寒風にさられるつらい仕事

  やがて処女の亡霊である女を残し、皆は帰ってしまいます

 

処女 沢辺なる、氷凝(ヒコリ)は薄く残れども、

   水の深芹(フカゼリ)、かき分けて青緑、

   色ながら(色のままで)いざや摘まうよ、色ながらいざや摘まうよ。

里女 まだ初春の若菜には、さのみに種はいかならん(どんなものがあるか)

処女 春立ちて、朝の原の雪見れば、

   まだ古年(フルトシ)の心地して、今年生(オ)ひは少なし。

   古葉(フルハ)の若菜摘まうよ。

里女 古葉なれどもさすがまた、年若草の種なれや、

   心せよ(気を付けて摘め)春の野辺。

処女 春の野に、春の野に、

   菫(スミレ)摘みにと来(コ)し人の、若紫の菜や摘みし。

里女 げにやゆかりの(紫のゆかりで武蔵野に)名を留めて、妹背の橋(佐野の舟橋)も中(ナカ)絶えし。

処女 佐野の茎立(ククタチ・あぶら菜やたか菜)若立ちて、

処女 長安の薺(ナズナ)

里女 (カラ)薺、白み草も有明の、

   雪に紛れて、摘みかぬるまで春寒き、

   小野の朝風、また森の下枝松垂れて、

   いづれを春とは白波の、川風までも冴えかへり、

   吹かるる袂(タモト)もなほ寒し。

 

  処女の亡霊は、旅僧を求塚に案内しするために残ったのですが、

菟名日処女(ウナイオトメ)と二人の男の物語をはじめるうちに思わず当人であることを現し、

身を助け給へと、塚の中に消えて行きます

 

旅僧 いかに申すべき事の候。若菜摘む女性は皆々帰り給ふに、何とて御身一人(イチニン)残り給ふぞ。

処女 さきにお尋ね候ふ求塚を教へ申し候はん。

旅僧 それこそ望みにて候御教へ候へ。

処女 こなたへ御入り候へ。

 

処女 これこそ求塚にて候へ。

旅僧 さて求塚とは、何と申したる謂れにて候ふぞ、詳しく御物語り候へ。

処女 さらば語つて聞かせ申し候ふべし。

 

処女 昔この所に菟名日処女のありしに、またそのころ小竹田男(オサダオトコ)

血沼の丈夫(チヌのマスラオ)と申しし者、かの菟名日に心をかけ、同じ日の同じ時に、

わりなき(やるせない)思ひの玉章(タマズサ・恋文)を贈る。

かの女思ふやう、ひとりに靡(ナビ)かばひとりの恨み深かるべしと、

左右(サウ)なう靡くこともなかりしが、あの(決着をつけるために射させた)生田川の水鳥をさへ、

ふたりの矢先もろともに、一つの翼に当りしかば、

その時わらは思ふやう、無慚やなさしも契りは深緑、水鳥までもわれゆゑに、

さこそ命は(惜しかっただろう)鴛鴦(オシドリ)の番(ツガ)ひ去りにしあはれさよ。

 

住みわびつ、わが身捨ててん津の国の、生田の川は名のみなりけりと、

 

これを最期の言葉にて、この川波に沈みしを、取り上げてこの塚の土中に込め納めしに、

ふたりの男は、この塚に求め来りつつ、いつまでも生田川(生きていようぞと)、流るる水に夕汐の、

刺し違へて空しくなれば、それさへわが科(トガ)に、なる身を助け給へとて、

塚の内にぞ入りにけり、塚の内にぞ入りにける。

 

 生田の里人が現れ、旅僧に問われるままに求塚のいわれを語り、菟名日処女の弔いを勧めます

 

U

  旅僧たちは亡霊の成仏を願って読経をします

 

旅僧・従僧 一夜(ヒトヨ)臥す、

   牡鹿の角の塚の草、牡鹿の角の塚の草、

   蔭より見えし亡魂を、弔ふ法(ノリ)の声立てて、

 

旅僧 南無幽霊成等正覚、出離生死頓証菩提。

 

  塚の中から処女の亡霊の声が聞えます

  荒野の古墳は、生田の名に似ず若くして命を絶った者の塚だと言い、火宅の住みかを見て下さいと、

  亡霊は姿を現します

 

処女 おう曂野人稀なり、わが古墳ならでまた何者ぞ。骸(カバネ)を争ふ猛獣は、去つてまた残る、

   塚を守る飛魄は松風(ショウフウ)に飛び、電光朝露はほもつて眼(マナコ)にあり。

   古墳多くは少年の人、生田の名にも似ぬ命。

   去つて久しき故郷の人の、

   御法(ミノリ)の声はありがたや、

   あら閻浮(エンブ)恋しや。

 

   されば人、

   一日一夜を経(フ)るにだに、一日一夜を経るにだに、八億四千の思ひあり、

いわんやわれらは、(この世を)去りにし跡も久方の、

天の帝の御代より、今は後の堀河(天皇)の、

御宇(ギョオ)に逢はばわれも、再び世にも帰れかし、

いつまで草の蔭、苔の下には埋れん。

さらば埋れ果てずして、苦しみは身を焼く、

火宅(カタク)の住みか御覧ぜよ、火宅の住みか御覧ぜよ。

 

  旅僧が読経をつづけると、亡霊の苦しみは一時和らいだかに見えます

 

旅僧 あらいたはしの御有様やな。一念翻せば、無量の罪をも遁(ノガ)るべし。

   種々諸悪趣地獄畜生、生老病死苦以漸悉令滅。はやはや浮び給へ。

処女 ありがたやこの苦しみの隙なきに、御法の声の耳に触れて、大焦熱の煙の中(ウチ)に、

   晴れ間の少し見ゆるぞや、ありがたや。

 

  それもつかのま、地獄の苦しみが出現します 

  二人の男が左右から手を引き、鴛鴦は鉄鳥となって頭をつつき、前は海、うしろは火炎、

  火宅の柱にとりつけば、柱は火となり身を焼きます

  八大地獄の有様が示され、苦患が終わって求塚にたどり行くのが見えますが、姿は失せてしまいます

 

処女 恐ろしやおことは誰(タ)そ。何小竹田男(オサダオトコ)の亡心とや。

またこなたなるは血沼の丈夫(チヌのマスラオ)。左右(サウ)の手を取つて、来れ来れと責むれども、

三界(迷いの世界)、火宅の住みかをば、何と力に出づべきぞ。

また恐ろしや飛魄(人魂)飛び去り目の前に、来るを見えば鴛鴦の、鉄鳥となつて鉄(クロガネ)の、

嘴足(ハシアシ)剣のごとくなるが、頭をつつき髄を食ふ。

こはそもわらはがなせる科(トガ)かや、恨めしや。

 

なう御僧この苦しみをば、何とか助け給ふべき。

旅僧 げに苦しみの時来ると、言ひもあへねば(終わらぬうちに)塚の上に、火炎一むら飛びおほひて、

   光は飛魄の(人魂かと思えば)鬼となつて、

   笞(シモト)を振り上げ追つ立てれば、

処女 行かんとすれば前は海、

   後(ウシロ)は火炎、

   左も、

   右も、

   水火の責めに詰められて、

   せん方なくて、

   火宅の柱に、

 

   すがり付き取り付けば、柱はすなわち火炎となつて、

火の柱を抱くぞとよ。

あら熱(アツ)や堪へがたや。

   五体は熾火(オキビ)の、黒煙(クロケムリ)となりたるぞや。

 

   而(シコ)うじて起き上がれば、

而うじて起き上がれば、獄卒は笞を当てて、

追つ立つれば漂い出でて、八大地獄の数々、

苦しみを尽し御前にて、懺悔の有様見せ申さん。

まづ等活黒縄衆合、叫喚大叫喚、

炎熱極熱無間(ケン)の底に、足上頭下と落つる間、

三年(ミトセ)三月の苦しみ果てて、少し苦患の隙(ヒマ・合間)かと思へば、

鬼も去り火炎も消えて、暗闇となりぬれば、

今や火宅に帰らんと、ありつる住みかはいづくぞと、

暗さは暗しあなたを尋ね、こなたを求塚いづくやらんと、

求め求めたどり行けば、求め得たりや求め塚の、

 

  草の蔭野の露消えて、草の蔭野の露消え消えと、

  亡者の形は失せにけり、亡者の影は失せにけり。

 

 


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